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青い鳥文庫『黒魔女さんが通る‼︎』 をだらだら語る  

【黒魔女さんが通る!!】黒鳥千代子という主人公【15周年おめでとう】

黒魔女さん15周年おめでとう

2020年は『黒魔女さんが通る!!』という作品が誕生してから15年目という、非常におめでたい年です!

そして9月15日は無印1巻が発売された日。つまり『黒魔女さんが通る!!』は今日でちょうど15周年を迎えるわけです。

それを記念して、本作の主人公、黒鳥千代子さんについて語ってみたいと思います。

わたしにとってチョコを語るということは、黒魔女さんという作品全体を語るということとほぼイコールです。なぜなら、彼女が主人公だということこそが、この作品の魅力の根底にあるものだと思うからです。

この記事を通して、チョコさんがいかに素敵で、『黒魔女さん』の主人公にふさわしいかということが伝われば嬉しいです!

 

 

主人公っぽくない主人公

わたしがチョコさんに惹かれるのは、ひとことで言えば主人公属性的なものがほとんどない主人公だからです。

チョコさんは運動も勉強も苦手で、50メートル走は12秒、漢字テストは10点満点中3点以上とったことがない。流行にも疎い。そしてなにより人間が嫌いで、集団生活に馴染みづらい性格です。

主観ですが、特に子どもを対象にしたエンタメ作品では、読者と同年代の主人公は、周りに好かれやすい性格なことが多い気がします。気弱だけどやさしい心の持ち主で、困ってるひとを放っておけないとか、乱暴だけど勇気があって情に厚いとか。要はいろいろ欠点はあっても人間関係をうまく作っていけるタイプです。

しかしチョコさんはそれのほぼ真逆をいっています。オカルトオタクで周囲から浮いており、同級生からは内心いじめたいと思われている*1。本人もくせの強い性格で、1巻の2話ではさらっと「あたし、なにがきらいって『人間』がだいきらいなの」とけっこう衝撃的な発言をしています。学校行事の遠足に対しても「クラスで列をつくってだらだら歩くだけ」とまったく乗り気ではない。みんなに好かれるどころか、和を乱す子としてじわじわ嫌われそうです。

そしてそういうタイプの子は『黒魔女さん』だけではなく、他の石崎作品にもわりとたくさん登場しています。

たとえば、『世界の果ての魔女学校』という作品に登場するアンという人物は、かなりチョコっぽい女の子です。コメディ要素は皆無ですが、魔女学校の外見といい、「世界の果て」の看板等のアイテムといい、作品自体の雰囲気もなんとなく『黒魔女さん』を彷彿とさせます。

アンの名前のつづりはUn。Unhappy(不幸)、Unholy(不浄)など、「不」や「非」をあらわすUnです。名前の通り「なにをさせてもひとを不安にさせるだめな子」で、簡単な仕事すら満足にこなせず、それをカバーするだけの愛嬌もない。そんな彼女を見ていると周りは不安になり、Un(=不)の虜になってしまう……。

わたしは、チョコのキャラクターはこのアンのコミカル版なのではないかと思うことがあります。両者とも親の期待に沿ったり友だちと話のノリをあわせたりできない不器用な子で、うとまれやすい。馬鹿にしてくる周囲を見返すだけの華々しいなにかも持ち合わせていない。チョコが持つという黒曜石の力(=周りを不幸にする力)も、アンの不(Un)の力とダブります。

何が言いたいのかというと、石崎先生はかなりこだわりを持って「人が嫌いで周りから浮いている」という設定の主人公を書いているのではないかということです。「暗くて友達もいなかったチョコ」が「明るくて友達いっぱいのチョコ」に変化するための前振りや助走としてではなく、その「暗いこと」「人が嫌いなこと」自体をテーマにしているのではないでしょうか。

 

 

チョコの成長とは

「暗いこと」「人が嫌いなこと」が主人公の成長の前振りではないということは、シリーズ屈指の名作『黒魔女さんのハロウィーン』を読むとより一層強く感じます。この巻でチョコは確かに成長しているのですが、それは「人が嫌いなチョコからの変化」ということと重なりきらないのです。

このお話で、彼女は無実の罪を着せられた師匠・ギュービッドを助けるべく魔界を奔走します。その結果、見事ギュービッドの無実は証明され、黒幕のレオナール伯爵は罰を与えられます。

この巻のチョコは、ギュービッドを裏切った挙句保身に走るエクソノームに啖呵をきったり、レオナールの罪を暴くために重要な作戦を閃いたりして、読者に彼女らしからぬ主人公力の高さを見せつけてくれます。しかし、その後の巻でも相変わらず一人が好きだと公言しており、基本的な性格は変わっていません。そもそも『ハロウィーン』の中でも、自分の性格をどうこうしようと悩んだり、他の人から指摘を受ける箇所も一切ありません。

だからこの話でチョコが成長したとは言っても、それは「人嫌いなチョコ」からの成長でないことは明らかです。

『ハロウィーン』のなにが感動的だったのかといえば、それはギュービッドとチョコの関係の変化です。以前書いたことの焼き直しになりますが、この巻以前の二人は基本的には守る側のギュービッドと守られる側のチョコという関係でしたしかし親友や初恋の相手に裏切られて満身創痍の師匠の姿を見たことで、今度はチョコが守る側にまわります。

だから、この巻におけるチョコの成長とは、ギュービッドを「いざという時は頼れるかっこいい師匠」から、「自分と同じような弱さのある対等な人物」だと捉えなおし、その相手のために奔走することができるようになったことだと思います。それは必ずしも「人嫌いだったチョコが人を好きになった」とかではないです。すこし重なる部分はありますが、イコールではありません。

わたしはチョコさんの主人公らしからぬところに惹かれていたので、はっきりと成長したという読後感がありながら、それが元々の性質を云々するという話になっていないのが好きだなーと、読むたびに思います。

 

 

終わりに

今はどうだかわかりませんが、わたしがリアル小学生だった2000年台半ばは、チョコさんのように「人に興味がない」と公言する児童書の主人公は結構珍しかった記憶があります。似たようなことを言っていたとしても、学校でいじめられてて……のようにそうなるに至った原因がはっきりある場合がほとんどだった気がします。

わたしは生まれつき覇気のない子どもだったので、「困難に負けずに一生懸命頑張る」とか「明るさだけは誰にも負けない!」みたいなタイプの主人公には勝手に距離を感じてしまって、お話の筋は楽しみつつも、登場人物になりきって読むことができませんでした。

その中で元々の性質として「人がきらい」と言っているチョコさんは、トップクラスに共感できる主人公でした。作品の雰囲気もすこしダークな感じで、チョコのひとり言みたいなぼそぼそした一人称とすごくマッチしており、やったぜ(8)の心にクリティカルヒットでした。

さすがにシリーズ開始から15年も経っているので、私がはじめて読んだ時とは作品の雰囲気も違ってきているかなとは思いますが、やっぱり根底に流れる『黒魔女さん』の精神みたいなものは変わっていないと信じています。これからの展開も楽しみです!

 

 



 

*1:『黒魔女さんのシンデレラ』